~ナカセ生活デザイン事務所WEBサイト~

ナカセ生活デザイン事務所

ブログ「未来を思う」

未来を考える切っ掛けになれば幸いです。

最新記事はこちら

No1、【前編】ベーシックインカムと期限付きのお金 2024/12/10更新

使用期限付きのお金と使用期限のないお金をご存じですか? 私たちがいつも使っている日本円は使用期限のないお金です。 日本政府がお金として保証しているため、 みんな安心して使っています。

もともとお金は物と物を交換するときに使う道具です。 基本は物々交換でよいのでしょう。
でも、 物と物を交換するのは大変なことです。 人はお金という道具を発明しました。 そしてお金は物と交換できると思い込んでいるのです。 お金を使う全員が物と交換できると信じているから成り立っているのです。

ものすごいインフレーション(※1)が起こると 頑張って貯めたお金も意味がなくなります。
日本人は日本円をとても信頼しています。 ずっと使えると思い込んでいます。 私も何も変革がなければこのまま永く続くと思っています。

ただ、変化はくると感じています。 人の意識が変わると、 社会システムを変えることができると信じています。

みんなが生活できるように一定の金額を政府が定期的に配布する制度のことをベーシックインカムといいます。 例えば、毎月政府から1か月生活できるだけの一定のお金が配られたらどうでしょう。 毎月生活できるのだから、1か月で使い切るでしょうか? それとも節約して貯蓄するでしょうか? あまり好きでない職業から、やってみたかった職業に転職するでしょうか? しばらくの間のんびりしてから、やりたいことを始めてみるのでしょうか?

ベーシックインカムを試している国があります。 少人数で試していますが、模索中といったところです。 当面のところ、日本がどのような判断をするかわかりません。 けれども日本に住む人たちがこのことを知っている必要があると思います。知らなければ判断できませんし、自分たちの希望を述べることもできません。 【後編】へつづく。

※1、一定期間にわたって物価の水準が上昇し続ける状態

No2、【後編】ベーシックインカムと期限付きのお金 2024/12/14更新

みんなが生活できるように一定の金額を政府が定期的に配布する制度のことをベーシックインカムといいます。 一言にベーシックインカムといっても、 国民全員へ配る。一部の人に配る。 生活できるだけ配る。生活の補助的な金額を配る。 と様々です。 基本的には、 全員に働かなくても生活できる金額を配る。 というのが理想だと思います。

例えば、毎月政府から1か月生活できるだけの一定のお金が配られたらどうでしょう。 ご自分の場合を考えてください。 毎月生活できるのだから、1か月で使い切るでしょうか? それとも節約して貯蓄するでしょうか? あまり好きでない職業から、やってみたかった職業に転職するでしょうか? しばらくのんびりしてから、やりたいことを始めてみるのでしょうか?

みんなに配る財源は税金です。 みんながもらったお金を節約して経済が縮小すると税収が減ります。 税収がへると配るお金を減らさないと全員に配れません。 配るお金が減るとますますお金を貯める傾向が強くなるでしょう。 要らないものに使う必要はありませんが、 使ったほうが経済は安定すると思います。 そこで期限付きのお金の登場です。

1か月で消滅するお金をもらったら、 あなたは使いきりますか? 使わずに消滅させますか? 結局のところ、 生活するのに金額が足りていたら使い切らなくてよいと思います。 期限がきて消滅させたらよいと思います。 しかしながら、現在の経済システムを体験している私たちは、 もったいなくて使い切る努力をするでしょう。 生活が成り立てば残りは消滅したって問題はないはずです。 お金は物を交換しやすくするための道具なのですから、本来は必要な分あればいいわけです。 これは意識の違いだと思います。 もしかしたら、 未来の人たちは本当の意味でお金を道具として使うことができるかもしれません。

消費者目線のお話をしてきましたが、 今度はサービス業や小売業、製造業などについて。 物やサービスを提供してお金を受け取ったら、 社員にお給料を払い、個人はその収入を自分の所得にする必要があります。 期限付きのお金だと困りますよね。 ということは、働いて稼いだお金は期限付きでは困るということです。 期限付きのお金を受け取った情報をどこかで管理して期限のないお金にしなくてはいけません。

期限付きのお金はどうやって配るの? 期限付きのお金をどうやって期限のないお金にするの?と疑問ですよね。 昔は期限付きのお金は現実的ではなかったと思います。 今はデジタル通貨が身近になってきています。 期限がきたら消滅させることができると思います。 期限をなくすこともできると思います。

ただし、全員の意識が変わらないとこのシステムは成り立ちません。 不正な行いがあると問題があるからです。 本当の意味でお金を道具として使うことができたなら、不正な行いは発生しないと思います。 生活は保証されているわけですから、あえて不正をしなくてはいけない理由がありません。 けれどもこれは誰にもわかりません。意識の違いだと思います。

ベーシックインカムを実現するためには、 人の意識が変わる必要があります。 期限付きのお金や期限のないお金の管理をする仕組みが必要です。 すべての人の生活が保証される時代への道筋を考えなくてはいけません。 何十年とかかるかもしれませんが、きっとそんな時代がくると信じています。 生きているうちにそんな世の中を見てみたいです。

No3、現代の食事の不思議 2024/12/18更新

子どもの頃の食事は玄米食でした。 当時はめずらしい方でした。 今は健康に気を付ける人は玄米を好んで食べるようですね。 友人が食べてみたいといったのでお弁当を分けてあげました。 どうも美味しくなかったようです。 確かにたまに食べる白米は美味しかったです。

学生の頃、 玄米の栄養成分について知りました。 完璧な構成だそうです。 ただし、必要な分を摂取しようとするとカロリーが多すぎでした。 昔は生きていくためにはたくさん動かないといけませんでした。 だからたくさん食べても問題がなかったようです。

現代の日本人は白米が主流です。 パン食の人も多いです。 全粒粉のパンもありますが、主流は胚芽などを取ったあとの白い小麦粉です。

白米は玄米から栄養のある部分を取り除いたものです。 白い小麦粉も栄養のある部分を取り除いたものです。 どちらも美味しいです。 嗜好品としてよいと思います。

けれども、玄米から栄養を取り除いていながら 野菜で栄養を取らなくてはいけないと、 義務感で野菜を食べるのはおかしな気がするのです。 野菜は食べたくて食べたいです。 そうでないなら玄米を食べればよいのでは? 確かにカロリーを考えて玄米を食べると栄養がたりません。 そうしたら補う程度に野菜を食べればよいと思ってしまいます。

食に限らず、 あるのに削って、削ったものが足りていないと言い。 そして足りないからと、別のもので補おうとする。 世の中は不思議なことが多いです。 食に関しては、 このまま不思議な世の中が続くのでしょうか? 不思議に思いながら30年ほど経ちました。 変わらないところをみると、 不思議に思っているのは少数派なのだと思います。

No4、【前編】豊かさについて 2024/12/22更新

経済的な豊かさと物質的な豊かさは別物だと常々思います。 物質的な豊かさと精神的な豊かさも別物だと思います。

例えば、
都会に住む人が物凄く体に良いとされる高額な大根を1本買ったとします。残すものかと葉っぱから根っこまで一生懸命食べたとします。 一方、高額ではないけれど採れたての大根を大胆に食べて、食べなかった部分を土に埋めて畑の肥やしにしたとします。 どちらの生活が豊かに感じますか? 好みの問題です。どちらも満足していると思います。 金額の問題ではないと思います。

確かに手元に食べるものがない場合は、 今の日本なら経済力があれば食べるものを買えるでしょう。 でも、お金があっても物がないと買えないのはみんな知っていると思います。 お金で物が買えない状態とは、「本当に物がない」または、「物はあるけど売ってくれない」のどちらかです。

2024年はお米が店頭から消えました。 お店で買っている人は買えないことがありました。 経済的に豊かでも物質的に豊かでない状況はあります。

一方、経済的に豊かでなくても物質的に豊かな状況はあります。 子ども時代は保護者がお世話をしてくれます。 個人差はあるでしょうが、 子どもは全くお金を持っていなくても物質的に豊かです。

個人差といえば、
日本の子どもの貧困や栄養失調について問題視されています。 行政を通じて子どもたちを安心安全に育てていきたいですね。

話をもとに戻します。
物質的に豊かでも精神的に豊かかどうかは、 それこそ個人差があります。 豊かの基準が人それぞれだからです。 日本の高度経済成長期といわれる時代は、 戦後の物のない時代を経験して、 経済的、物質的な豊かさを強く求めた時代だったように思います。

行き過ぎたものは反動が起こります。 その後「若者は物欲がない」と言われる時代がやってきました。 若者に限らず少数派だった感覚の人たちの数が増えてきたのだと思います。 経済的、物質的な豊かさを強く求めた時代を経験した人からみると 物欲がないようにみえるのかもしれませんが、皆さん欲しい物はあると思います。自分の生活に必要なものが違うだけなのだと思います。
【後編】へつづく。

No5、【後編】豊かさについて 2024/12/23更新

経済的な豊かさと物質的な豊かさは別物だと常々思います。 物質的な豊かさと精神的な豊かさも別物だと思います。 精神的な豊かさの基準が人それぞれだからです。

これまで経験した感想になりますが、 豊かさは何かが溢れ出ることだと思います。 物を少なく持って広い余白の空間を楽しむのも豊かさの1つ。 たくさんの物に囲まれて満足するのも豊かさの1つ。 そして身の周りの物が少なくても、多くても、 自分の持てる量がわかるようになると、 それ以上になったときに溢れ出てしまうのです。 この溢れる状態が豊かさなのではないかと感じます。

お裾分けをいただくことがあります。 先方の物質的な豊かさが溢れ出ているのだと思います。 いただいたときは先方の豊かさを感じますし、 分けていただいてとても嬉しいです。 逆にお裾分けできたときは、 こちらの物質的な豊かさが溢れ出ているのだと思います。 素直にお裾分けできたことが嬉しいです。 相手の方が喜んでくれたならなお嬉しいです。 私の豊かさの基準からすると精神的に豊かとはこのことです。

今回は豊かさについて書きました。 家族でも親戚でもご近所さんでも、 豊かさを分け合える人たちがいること。 その存在に幸せを感じます。

No6、【前編】言語思考者と視覚思考者 2024/12/27更新

言語思考者と視覚思考者という言葉があります。 思考するときに言語で考える人を言語思考者といいます。 思考するときに映像で考える人を視覚思考者といいます。

現代は言語思考が優位な社会のようです。 弁が立つ人の意見が通るからです。 世の中を動かすのは言語思考者が向いていたのだと思います。 そのため言語思考者の思い描く社会システムになっているのだと思います。

視覚思考者は映像で全体をみて考えることができるので、物づくりや問題解決が得意なようです。 設計士は設計図をみると頭の中で完成品や建造物が映像でみえます。 そのため視覚思考者は想像力で社会システムを変えてしまうほどの発見をするのだと思います。

言語思考者は、文字通り言葉を使って事柄を整理していきます。 視覚思考者は、文字通り映像を使って事柄を整理していきます。

優劣は感じませんが、現代は言語思考者の方が生きやすいのかもしれません。 それにこの2つがはっきりと分かれているわけではなく、 言葉で考えることもあるし、視覚で考えることがある人がほとんどだと思います。 両極端を比較すると明らかに異なっていても、両方の特徴を持った人がなだらかに繋がっているはずです。

自分自身は視覚思考者に寄っていると思います。 数十年と言葉を使っていますので、 子どもの頃よりもしっかり話ができるようになりました。 訓練の成果だと思います。 【後編】へつづく。

参考文献:ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界  テンプル・グランディン著 NHK出版

No7、【後編】言語思考者と視覚思考者 2024/12/29更新

言語思考者と視覚思考者という言葉があります。 思考するときに言語で考える人を言語思考者といいます。 思考するときに映像で考える人を視覚思考者といいます。 現代は言語思考が優位な社会のようです。

視覚思考者はディスレクシアという発達障害のうちの学習障害と判断されることがあります。 言語で考えていないのですから読み書きが言語思考者より上手でないことは当たり前です。

現代は弁の立つ言語思考者が考えた社会システムです。 その教育課程に馴染まないから障害というのは、どうも違和感を覚えます。 視覚思考者優位の社会システムの中なら言語思考者が学習障害を抱えることになります。 視覚で考えていないのですから空間を認識することに慣れていないのは当たり前です。

視覚思考者が教育システムを作ったなら、社会システムを思い描いたなら、どんな世の中になるのでしょう。 全体が映像で見えていますので、言語思考者も視覚思考者も住みよい世の中になるのではないでしょうか?

子どもの頃は視覚で考えることが多いそうです。 だんだんと教育されて言語優位になるのではないかという説があります。 しかし、 視覚思考者を現代人が意識しだしたのは最近です。

以前は多くの子どもたち(今の大人)はもともと言語優位だったのかもしれません。 もともと視覚優位な子どもたちが、だんだんと増えているだけかもしれません。 本当のところは分かりません。

先ほどの仮説が本当であれば、教育されて言語優位になることがあるなら、 もともと視覚で考えていた人たちが言語で考えることを習得できるということです。 もともと言語で考えていた人たちが視覚で考えることを習得できる可能性もあります。 自由自在に使い分けることができたとしたら。これはもう考え方のバイリンガルです。

もしかしたら、
これからの若者は言語と視覚の両方を巧みに使い分けて新しい世の中を動かしていくのかもしれません。 先に生きてきた私たち大人は、ぜひ協力して応援していきたいです。

参考文献:ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界  テンプル・グランディン著 NHK出版

No8、心のよりどころ 2025/1/5更新

日の出や雄大な景色に感動して自然と手を合わせて拝んでしまう。 そんな経験はありますか?私は何度かあります。

日本人は無宗教を自覚している人が多いそうです。 私自身は、お正月は初詣をしますし、法事があればお寺に行きます。 お願い事はしませんが、お伊勢参りが好きで、おはらい町やおかげ横丁を散策して楽しんでいます。

日本にも、さまざまな宗教を信じるたくさんの方々がいます。 お話を聞いていると、それぞれの宗教は信じる方々の心のよりどころになっていることが分かります。 みなさん素晴らしいと思います。 ただ私の主観ですが、信仰と宗教団体は別物ですね。 信仰があっても宗教団体に入らない人もいるでしょうし、 宗教団体に入っていても信仰していない人もいるのだろうと思います。

宗教団体に所属して穏やかに暮らしている方々と対面すると、 それだけでその団体が存在する意味があるように思います。 逆に穏やかに暮らしていない方は、 その方にとってその団体は意味がないように思います。 心のよりどころになっていないのだと思います。 宗教でも座右の銘でも、 自分の信じるもの、大切にしたいものが見つかれば、 心のよりどころになるのだと思います。

ちなみに私は「理(ことわり)」が存在すると思っています。 「理」は玉虫色で見る人によって違って見えますが、 意識していなくてもみんな同じものを見ているのだと思います。 その時のその人の見えているものが、 その時のその人の真実なのだと思います。 人によって、同じ人でも時によって違って見えていいと思います。 どう見えるかは個人の好みや環境ですね。

日本人の宗教観は今後どのように変化するのか。 広くは世界の宗教がどのように変化するのか。 このブログは「未来を思う」というタイトルなのですが、 タイトル通り、「どうなるのかな?と思う」だけで想像もつきません。 のちの方に検証していただきたいです。

※「理」は私が勝手にそう呼んでいます。呼び名はなんでもよいと思います。

No9、志と偉人 2025/1/10更新

建設機械で有名なコマツの施設「こまつの杜」に行ってきました。 大きなダンプトラックとこれまた大きな油圧ショベルが屋外展示されていました。 時間になると施設の方が誘導して運転席に案内してくれました。 みなさんとても親切で穏やかなお顔に心の余裕を感じました。

このコマツの創業者 竹内明太郎氏が石川県小松市で小松鉄工所を始めたのはこの地を選んだからでした。 もともと高知県の出身だそうです。 1900年にパリ万博を訪れ、その技術に衝撃を受けたそうです。 「日本を活性化するには地方を元気づけなくてはいけない。」という思いから、竹内氏は小松の地に鉄工所を開設しました。

コマツは竹内氏から受け継いだ大切にしていることがあるそうです。 1つは、良いものを作ること。 1つは、研究をつづけること。 1つは、人を育てること。 どれも大切だと思います。 私は「良いものを作ること」は「研究をつづけること」であり、 「研究をつづけること」で「良いものがつくれる」と思います。 また、「良いものを作ること」「研究をつづけること」が、 「人を育てること」に繋がると思います。 育った人はまた、「良いものを作り」「研究をつづける」ことができるでしょう。

竹内氏の日本を育てようとする行動力はまさに偉人。 その志に従って良いものをつくり、研究を重ね、人を育てた従業員の皆さんもまた偉人だと思います。 その姿勢をお手本にしていきたいです。 いまの世に通じる大切なものだと感じました。

No10、地産地消の良さ 2025/1/13更新

地産地消を意識しています。 食材もできれば地元産を買うようにしています。

以前、アフリカ産のグレープフルーツを見たときに、 アフリカの人たちが作ってくれて、 はるばる日本にやってきたのだ!と嬉しくなりました。 でも、考えてみると多くの燃料を使ってわざわざ来てもらうのも? アフリカで作られた農作物はアフリカで消費したらよいのでは? 輸出によって外貨が入ることが良いのかもしれませんが、 地球規模で考えると、わざわざ環境負荷をかける必要はないのでは? と思ってしまいました。

「産地で産地のものが食べられない。」 という話を聞いたことがあります。 経済優先の社会がそうしたのでしょうか? 地元の人が地元のものを食べるのは、 当たり前のことだと思います。 地元の人が食べずに他の地域へ持っていくことに違和感があります。

経済が優先ではない未来の世の中は、 まずは地元で消費して、 消費しきれなかったものを他の地域へ販売する。 または、その土地を訪れて土地のものをいただくのが良いと思います。 訪れた土地のものはとても心に残るし、貴重な記憶になると思います。 そんな世の中が素敵だと思います。

No11、【前編】DAOの世界 2025/1/17更新

DAOをご存じですか? 構成員に上下が存在しない組織です。 構成員で話し合い、皆が納得して決めていく組織のことです。 このDAOという組織で働くことが、 20年後、30年後の多くの人の働き方になると思います。

DAOでは個人が大切になります。 個人がそれぞれに自分の持ち味を生かした仕事ができます。

私の思い描くDAOを説明します。 Aさんは絵を描くことが楽しい。 Bさんは文章を書くことが楽しい。 Cさんは人と話すことが楽しい。 こんな3人がDAOをつくりました。

Aさんは、自分の思いで絵を書きます。 Bさんは、Aさんの絵を文章で表現します。 素晴らしい作品ができたことを喜んで、 Cさんが、世の中に発表します。 金銭が発生してもしなくてもよいのですが、 経理が必要であれば、 経理ができるDさんに参加してもらえると順調に運びます。

会社だと、 AさんとBさんは協力して製品を作る製造。 Cさんは営業。 Dさんは経理。 もしかしたら、マーケティングや製品のコンセプトを決める他の担当部署があるかもしれません。 株式会社だと代表取締役も存在するのでしょう。

DAOは基本的に雇用が存在しません。 全員で決めるかわりに全員で責任を負います。 集まりたい人が集まって仕事をします。 できること、やりたいことをするのがDAOです。 黎明期ではありますが、いろいろなDAOが登場しています。 【後編】へつづく。

No12、【後編】DAOの世界 2025/1/21更新

DAOをご存じですか? 将来このDAOという組織で働くことが、 多くの人の働き方になると思います。

このDAOは難しくいうと分散型自律組織といいます。 簡単に言うと全員で話し合い決めていく組織です。 一般的に現在「DAO」というと、 ブロックチェーンの技術を用いてインターネットを使ってDAO組織を運用するDAOを指します。

現在のインターネットの世界の基本は、 大きな会社や組織が仕組みやデータを管理しています。 誰かが仕組みを持っていて、それをみんなで使っています。 よくWEB2と呼ばれます。

現在はブロックチェーンの技術を使うことで、 データを分散して管理できるようになりました。 WEB3の時代の到来です。 これにより、ある特定の会社や組織に依存せずに、 インターネットを使用する人たちで管理していけるようになりました。 ブロックチェーンの技術の仕組みについては簡単にWEB検索で閲覧できます。

理想のDAOは完全にシステム化されたDAOです。 暗号資産、仮想通貨と呼ばれるビットコインは完全なDAOです。 人の手を介さずにプログラムによって、 マイナー(DAOシステムを運営するために計算する人)へ報酬が支払われます。 しかしながら、DAOを立ち上げてもすぐに完全システム化できるわけではありません。 多くのDAOはみんなで考えて作り上げていく段階です。

まだまだ黎明期だと思いますが、 いろいろなDAOが登場しています。 村おこしに協力するDAO、 地域のインフラを守るDAO、 会社として法人化した合同会社DAOなど。

20年後、30年後にはDAOが当たり前の時代がやってくると思います。 もしかしたら、もっと早くそのときがくるかもしれません。 DAOについてはまた書かせていただきます。

No13、中学教育システム
2025/1/25更新

中学時代の恩師がおっしゃっていました。
「中学校が変わるといい。」

私の住む地域では地元の中学校に通うことが多いと思います。 その当時も、地元の中学校へ通う人が多い時代でした。

恩師が考えていたのは広域選択制。 今も選択制の地域はありますが、 恩師がおっしゃったのは、
「どちらか選べますよ。」
という内容ではありませんでした。

中学校が独自の教育方針を打ち出して特色のある学校にする。
例えば、
スポーツ重視の中学校や自由でのびのびした中学校。
水泳ならあの中学校。
音楽やるならこの中学校。
といったところでしょうか。 私が考えるなら、
理科重視や行事重視も楽しいと思います。
「公共交通機関を充実させて、自分の通える範囲で選択する。」
そんなことをおっしゃっていました。 みんな同じの横並びから、 個性を伸ばすことに意識が向いていた時代でした。

教育制度は戦後それほど変化がないように思います。
公立中高一貫校が増えているようですが、 大きな改革はあるのでしょうか?

今回は故人の恩師を偲び書きました。

No14、江戸の町
2025/2/4更新

江戸の町は小さいのだそうです。 歩いてなんでも揃う。 郊外に畑があり、海で魚が採れて、 行商の人が売りに来てくれる。 暮らしやすいのだそうです。

以前、兵庫県の三田市に行ったことがあります。 駅前に広い道路があって、いろいろなお店がありました。 そうかと思うと小道があって、 人が通るときに肩が触れるのではないかというほどでした。 江戸の町ってこんな感じかなと思いました。

昔は車がなかったから、道も狭くてよかったのだろうと思います。 毎日家で暮らすのなら、車に乗らないのなら、 現代でもこのくらい狭くてもいいのだなと思いました。

畳の1畳は人が1人寝られる広さだと。 畳の半畳は人が1人座れる広さだと。 昔は人の体から寸法を決めていたのですね。 小道の幅もそうやって決められたのでしょう。 まさに人間工学。

これからの町や住まいはどうなるのでしょう。 車の自動運転が一般的になったのなら。 1人乗りで1人1台の車が主流になったのなら。 駐車場事情も変わりそうですね。 道も狭くて良いかもしれませんね。 その前に東京の都心の人は今でもあまり車を持たないとか。 公共交通機関が充実しているからですね。

暮らしやすさを追求するならどんな選択肢があるのでしょう。 町を江戸のように小さくするのか。 車や交通機関を充実させていくのか。 暮らしやすさの定義が変わるかもしれません。

No15、原子力発電について
2025/2/13更新

日本には原子力発電所がいくつかあります。 大きな施設です。 原子力発電所がつくられる頃、誘致合戦があったそうです。 資源が少ないと思っていた当時の日本人は、 未来のエネルギーだと期待しました。 でも、選択肢がいくつかあったようです。

大型施設と小型施設です。 結局大型施設が造られました。 小型の方が導入、メンテナンス、配置においてメリットがあるように思いますが何故だろう?と疑問でした。

現在は小型の原子力発電へ流れが変わっているようです。 小さければ用地も見つかりやすいでしょう。 各県に配置することができて良くも悪くも不公平感が少なくなります。 施設数が増えることで従事する人が増えます。 従事する人が増えればいずれ熟練した技術者が増えます。 メンテナンスができれば安心感が高まるでしょう。 技術者を目指す次の世代も育つでしょう。 地震が起きても大丈夫な原子力発電ができあがるかもしれません。

一番怖いのは、怖いものに蓋をしてみんなが忘れてしまうことです。 作ってしまったものは、勝手にはなくなりません。 原子力発電は悪いものだと親から教わって育った子どもたちは、 その道にはなかなか進まないでしょう。 継承者がいなくなると、いずれ対処できない状態になります。 原子力発電所稼働反対だけでは済まないことをみんな知っていると思います。技術者や従事する人がいることに感謝しつつ、 一緒にこの先を考えていくことが大切だと思います。

No16、口腔ケア
2025/2/22更新

菌はねばねばを出します。 納豆でも麹でもねっとりとしたものを作ります。

口の中はたくさんの菌が住んでいます。 流されないようにねばねばを出すのだそうです。 菌は、ねばねばで身を守っているのですね。 口をゆすいでも、ねばねばがあれば 菌はその場に留まれるのだそうです。 滅菌する気はありませんが、 菌を減らしたいと思ったので、 このねばねばを取ることにしました。

物理的に取り除く必要があります。 歯ブラシで除去しました。 続けていたら口の中のねばねばが少なくなりました。 唾液だと思っていたものは菌のねばねばだったのですね。 いまは唾液がさらさらしています。

知らないことを知って試してみると、 知らなかった世界を見ることができます。 私だってずっと歯を磨いていました。 でも、今思えば口の中がねばねばしていました。

ねばねばを取るつもりで歯磨きをしたら磨き方が変わりました。 もちろん歯茎を丈夫にすることにもつながります。 歯茎が薄ピンク色になりました。 子どもの頃に家に犬がいました。 犬の歯茎は薄ピンク色でした。 同じだなとひさびさに思い出しています。

No17、恒星の一生と太陽
2025/3/12更新

太陽は恒星です。 自分で輝いています。 内部で核融合が起きています。

恒星はいつか消滅します。 たぶん正しいと思います。 太陽がなくなったら、地球もなくなると思っていました。 でも違う見解を知りました。

恒星は消滅する前に肥大するのだそうです。 その大きさの半端ないこと。 地球は肥大した太陽に飲み込まれるのだそうです。 または、太陽の引力が小さくなり地球が放り出されるかもしれないのだそうです。 研究者の間でも見解が分かれているのだそうです。 いずれにせよ、太陽がなくなる前に 今のような地球はなくなっているということです。 もちろん私たちは生きていません。 でも、遠い未来の人たちはその出来事に遭遇します。

もし、恐竜の時代に起こっていたら、恐竜はそんな事知りもしなかったでしょう。 原始時代に起こっていたら、人間も何が起こったか分からないまま消滅していたでしょう。 現代人や未来の人たちは分かってしまうだけに幸せなのか不幸なのか?

たぶんこうなると分かっていても一般的には周知されていないことは多いと思います。 公になっているデータは多いというのに、あえて周知していないのでしょうか?

参考文献:日経サイエンス

No18、自動運転の世界
2025/3/19更新

静岡県の工場跡地に建設中のウーブン・シティの入居が2025年秋から始まります。 最初に100人ほどが入居。 最終的には街は2000人ほどになる予定だとか。 どんな街を計画しているのかとても気になります。

街内に自動運転の車が走るのでしょうか? 電磁波は体によくないと聞きますが、 新しい技術や運用には心躍るものがあります。 みなさんのワクワク感が伝わるからでしょうか?

生活を実験する街です。 車に限らずいろいろな自動運転を運用して検証していただきたいです。 私もできれば訪問してみたいです。

No19、生態系の頂点を探す
2025/3/22更新

その土地、その土地に生態系の頂点がいました。 人が入らない森の奥地では熊だったかもしれません。 恐竜の生きた時代は、どんな生き物が生態系の頂点だったのでしょうか?

人は動物としては弱いです。 肉食動物の前では獲物です。 でも、知恵を生かして今では生態系の頂点といえると思います。 私が学生の頃は生態系をピラミッドで書くことが多かったです。 上の方に行くほど数が減り、下の方へ行くほど数が多いからです。 今はそうでもないようですね。

疑問があります。 生き物は生まれて、そして死んでいきます。 当たり前のことです。 死んだあとの死骸を食べる生き物がいます。 枯れたり腐ったりした植物を食べる生き物がいます。 分解者です。

ゴキブリについて調べる機会がありました。 雑食のかれらはもともと自然の中で暮らしています。 シーラカンスと同じ「生きた化石」といわれ、 太古の昔から姿が変わっていない生き物です。 腐った草木、生き物の死骸などを好みます。 まさに分解者。ほかにもミミズやダンゴムシ、細菌類、菌類は、 いろいろな植物や生き物を土に返していく分解者です。

生き物は何かに食べられる運命です。 生きている内はピラミッドの頂点だったとしても、 死んでしまえば分解者(ピラミッドの最底辺)に食べられる。 そうやって循環していることを知ると、 生態系はピラミッドではなく、 円を描いていると思います。 今は円のように循環した様子で描かれることが増えましたね。

今回のタイトルは「生態系の頂点を探す」ですが、 「頂点は存在しない」と私は考えました。 物質をぐるぐる回しているその様子から、 地球が簡単には出られない大きな温室に思えてなりません。

No20、【前編】人口死産について
2025/3/27更新

日本人の人口減少が言われてつづけています。 第2次ベビーブームのあと、 ベビーブームと呼ばれる現象は聞きません。 出産件数は、上下を描きながら下降し、 今は80万件を下回っています。 さらに死産件数は増えており、 自然死産率も増えていますが、 人口死産率も増えています。 この人口死産とはいかなるものか? 薬を使って死産を促すものだそうです。

母体の命が持たないと判断したときや、 染色体異常が疑われるなど、 出産するかどうか迷った末に薬を使うのだそうです。

けれども、 生まれてくる子どもに関して、 「〇〇になる可能性がある」 「生まれても長くは生きられない」 と言われても、 元気に育つ命はあるそうです。

逆に問題なしと判断されても、 絶対ではないと思います。 後天的に何が起こるかなんて 誰にもわかるはずがありません。

子を産む親は、 たいていが人生前半の若い世代です。 いろいろな事がよくわかっていそうな人から言われると、 不安に思うし、 親になることに迷うかもしれません。 自分の生き方や 大切なものが定まっていない中での妊娠かもしれません。

どんな状況でも育てていきたい。 育てていけると思える世の中であって欲しいです。